⚫⚫そのまんまのゆかの場所⚫⚫~看取り士ゆかのブログ~

●○●私の1番の理解者はいつも私自身●○●

【スノーボードの大会に無事終わりました☆】

テク選、終わりました!

フリ-スタイル女子27名中12位 合計得点777点

自分なりに自分の滑りを出し切れました。
全日本には行けなかったけど、今の実力です。

くやしーーーい!


勝負の世界って
結果が全てだからさ
やっぱりその1本に
全てがかかってるんだよね。


普段どれだけ上手く滑れてても
普段どれだけ板に乗れてても
普段どれだけみんなに褒められてても


本番のその1本でどれだけ自分を表現できるか

それにかかってる。


点数が付くのはその1本だから。


もちろん人が点数つけるものだから
少なからず好みはあるけど
基本的には厳正公正な目でジャッジされる。


まー自分の滑りを出し切った私は
それが今の実力なので
これ以上でもこれ以下でもないけどね!


去年に比べると点数的にも
自分かなり上達できてたんだけど
同じよーに周りも上達してるから、
かなり飛躍しないと
周りを抜かせないなーって思ったりね。


勝負の世界って、負けても当たり前
勝っても当たり前!
最後まで諦めずに自分を信じきれる精神力が
とても求められたりするんだよねー!


こーゆーのってさ、きっとセミナーもかでも
言えるよね。


ただセミナーは失敗してもリカバリーできるってゆーメリットあるよね!


スノーボードの大会は
失敗したり転んだりすると
点数がガクッとさがってしまうけれども、
セミナーなら間違えても言い直せばいいとか、
間違えても訂正すれば良いとか
そーゆーところでね。


てかむしろセミナーって
間違ってるとか間違ってないとかじゃなくて
セミナーを受ける側にとって
合うか合わないかが
大事になってくるだけであって
間違ってるとかそーゆーのは
関係ないのかなとも思わなくもないけどね。


だからこそ集客する時に
どんな人に聞きに来てほしいのかを
明確にしておくことが必要なんだよね。


スノーボードのインストラクターでも
同じことは言えると思うんだ。


スノーボードスクールのお客さんは
スノーボードが上手くなりたい人。
スノーボードを楽しみたい人。


初心者はボードに慣れることをまず目標にしてるし、初級者はターンをすることを目標にしてる。

ターンができたらその後は
カービングしたい人
グラトリしたい人
パーク入ってみたい人
みたいに分かれてきたりもする。


その人の目標を達成するために必要な知識やコツをお伝えできるインストラクターが必要なわけです。


そしてさらにその人にあうやり方
見つけてあげるお手伝いをする役割なのが
インストラクターだから。


お客さんとコミュニケーションとる中で
アドバイスが合わなかったりすれば
違う方法を提案することもできるしね。


だからスクールもどんな人に来て欲しいのか明確にする必要があるけど、ある程度のレベルの人は自分がどうなりたいのか、何がしたいのか知っておく必要があるってこと。


そうじゃなきゃ、スクールは基本的にレッスン内容をカービングにもっていくよー。
だってみんな得意としてるから(笑)


私もその1人だな(笑)


ただ、昔グラトリも多少やってたし
パークも好きで入ってた(今はやらなすぎて若干怖い)から、楽しむことはできるけどー。


私を好きでいてくれて教えるなら大歓迎♡


スノーボード教えて欲しい人は連絡ください♡


色々書いたけど
それぞれで感じてもらえたら嬉しいです😊✨


あと、LINE@で明日の20時に
テク選で滑ったミドルターンを公開しまーす。

見たい方、登録してみてください♪

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看取りの話や自分の話、スノーボードの話などしてます。特に今は看取り士になるために勉強中なのでそれについて書くことが多いです。
気になる方は登録してみてください。そして色々話しましょう!
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【おばあちゃんの看取りの思い出(もう20年くらい前の話)】

私昔おばあちゃんと一緒に住んでたの。
中学生くらいまでかな。
母がお家でずーっと看てた。

最期まで。

ちょこちょこ病院に入院したし
通院はしょっちゅうしてた
おばあちゃんだったけど
どの先生にもすごく好かれる
おばあちゃんだった。


『こんにちはー五十嵐さん!元気かい?』

って病院の先生に聞かれると、
ニコニコしながらいつも話すおばあちゃん。
そんなおばあちゃんの通院にすら
着いていくのが大好きだったわたし。


おばあちゃん、着いていくと
いくもジュース買ってくれてたから。

珍しいタクシーにも乗ることができたから。

何より五十嵐さんのお孫さん優しいねー♡
って先生方に言われるのが嬉しかったから♪


私はそんなおばあちゃんが
とても大好きだった。


それでも日に日に弱っていくのも私も分かってて
でもあたしはおばあちゃん大好きだったから、母のお手伝いしてご飯食べさせてあげたりしてた。


学校に出かける前は、
『おばあちゃんいってきまーす!』
って声をかけて、手を握ってから行ってた 。

そーすると、
『ゆかちゃん、気をつけてね。また待ってるね。』
っていつも言ってくれてた。


お家から帰ってくると
『ただいまー!』ってまた
手を握りに行く。



おやすみする時も、必ず手を握ってた。


どんなときもニコニコしてるおばあちゃん。
握り返す力は最期まであったょ☆



そんなおばあちゃんと私。




最期の方は、おばあちゃんも寂しさからか
夜中に『ゆかちゃーん、ゆかちゃーん』って
呼ぶようになった。


壁をはさんだ向こう側で寝ている
おばあちゃんが呼んでる。



会いに行ってあげたいなーって思いながらも
でも学校もある私は、
うるさいなーーーって
心の奥底では感じてしまうのも事実だった。



それでももちろん出かける時は、
手を握ってから出かけてたけどね。





あるとき、学校から帰ると
かかりつけの先生とお母さんが
そろって階段から降りてきた。


当時、母には若干反抗期だった私。


顔合わせてすぐに母は私に言う。

『お願いがあるんだけど。。』





『自分でやればいいぢゃん』

って私は言いながら、階段をのぼって
いつものようにおばあちゃんに会いに行く。






でも.......



そう。

おばあちゃんは息をしてなかった。





そこで初めて、母のお願いの意味がわかった。
涙が止まらなかった。



出かける前、いつものよーに笑ってくれて
いつもお同じよーに手を握ってくれたじゃん!
昨夜もいつものよーに
『ゆかちゃーん』って呼んでくれてたじゃん!



なんで?なんで??なんで???って。



なんか悲しいとかもあったけど

もーおばあちゃんの笑った顔を
見ることができないこと

これ以上手を握りながら
行ってきますって言えないんだってこと

おばあちゃんにヨーグルトを
食べさせてあげれないこと


今まで当たり前にやってたことが
死んじゃうと何もしてあげられないってことが
寂しくてしょーがなかった。


なんとなく弱ってくのわかってたけど、
実際に死んじゃったおばあちゃんを見て
寂しくてしょうがなかった。



おばあちゃんといて
楽しかったこと、嫌だったこと
色々なことが頭に浮かんできて、
涙が流れてくるたびに
おばあちゃんに

『ありがとう!』

っていつものように手を握りながら声をかける。


笑いもしない、
もうあたたかくないおばあちゃんの手。




さっき母にかけた言葉が
ハッと頭に浮かんだ。



『お願いがあるんだけど。。』


お母さんの元に戻る。





『何してくれば良いの??お願いって何??』



母は市役所に行って死亡届を
もらってきて欲しいって言った。



泣きながら取りに行く。


でも外で泣いてるのは自分だけ。


周りの人は、至って普通の日常を送ってる。


私がなんで泣いてるのかなんて
わかんない。知らない。


人の死って、家族や知り合いには
こんなにも悲しいできごとだけど、
他人にはなんてことないんだなー
知ったこっちゃないもんなーなんて
その時に世間の冷たさをなんとなく
感じてしまったんだ、私。




役所で聞く『ご愁傷様です』
にすら冷たさを感じた。




でもね、今は思う。
私自身が一番、
他人に対して冷たかったのかなって。
てか他人に対して興味をもつのが
怖かったんだなーって。
迷惑なんじゃないかって。
色々なことを世間に対して感じてて、
だから周りもそーであるんだって
私の世界観を周りに移してた。


人それぞれの価値観があるって
わかりながらも、でも人の価値観なんて
自分と違いすぎて理解できないから
結局自分のフィルターを通して
周りを観察する。



『ご愁傷様です』
市役所て心を込めて言ってもらえたら、
私の心は救われたのかな。


市役所で、職員の目の前で、
泣くことを赦されてたら
どれだけあたたかい気持ちになれたんだろう。


もしかしたら本当は温かい言葉を
かけてくれてたのかもしれない。

もしかしたら本当は目の前で泣くことも
赦されていたのかもしれない。


ただ私がそれを素直に受け取る
自分の器が無かっただけなのかもしれない。

素直に泣いてもいいって、周りの人に
甘える勇気がなかっただけかもしれない。




でもそんな当時はそう感じてしまった
事務的にかけられた言葉。


言わなきゃいけない言葉だから
とりあえずかけた言葉。


たぶん自分もたくさん今までやってきたと思う。
恥ずかしいしね。
そーゆーの、心を込めるのって。


でもさ、そーゆー言葉に
自分の心を込めて言える人って
すごいあたたかいなーって思うの、私。



そしてそーゆー人に本当に救われてきたと思うの、私。



おばあちゃんもその中の1人だったしね。



私も無理にやることなんてもちろんできないし
思ってないことを言うとかじゃなくてさ、
心から出たあたたかい言葉を
かけてあげられる人になりたいなーって
思うんだー。



形式的に言わなきゃいけない言葉も
もちろんあるけども
それでもただ言うだけじゃなくて、
経験から得た大切な感情をこめて
なんかあたたかく言ってしまう



そんなのいいなーって思う。

そんなのすごい素敵だと思うんだよね。




最期に

おばあちゃんの葬儀の時に足が痺れながらも
初めて真剣に聞いた【般若心経】に
なんとなく心を打たれた私。


なんでかこの部分を見て
死を納得したんだよね。



無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識



どこで切れるべきなのかもわからないけど
とりあえずこんなところ。


目も耳も鼻も舌も身体もない
味も香りも感じず触れることもできない
意識すらない



もちろん本当の意味は違うかもだけど

当時の私は死ぬってことを般若心経を見て

そう感じ取った。



今改めて般若心経について調べてみたら
面白いもの見つけたからシェア。
現代風ラップにして、般若心経を訳してるヤツ。


https://matome.naver.jp/m/odai/2136257773758613101



けっこうわかりやすいし面白い!


私自身、仏教とか全然興味なかったけど
ブッタの教えってすごいのかも!って
思っちゃった。


そんな私、看取り士の勉強中です。

看取り士とはこれです。

http://mitorishi.jp/


LINE@では
実際の身取りの現場で感じたことなどを
おもに書いてます☺


こんなおばあちゃんのエピソードがあるから
今施設での看取りにもついつい力が入ってしまう私。


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看取りについての思い出や
考えをシェアしませんか?


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【結果とは、今までの点が線で結ばれること】

ブログから遠ざかる日々。

でもそんな時もあるって受け入れる。


最近は今週末にあるスノーボードの大会、
『JSBAテクニカル選手権大会中部地区予選』
で全日本への切符を勝ち取るために
練習をしていた。

ミドルターン
ベーシックショート
フリーライディング

の3種目。


もう前日まで滑る時間ないから、
あとは自分を信じて当日滑るだけの状態⤴⤴


インストラクターとして働いている
スクールの寮に泊まっているときも
ブログ書きたいなーなんて思いながらも
夜は身体を休めることを優先していたから
全然書けなかった。


だから本当に久しぶりに書けて嬉しい☺✨


スノーボードで勝たなくなって私は私。

全然このままでも充分素敵だけど。

でも勝ちたいんだなー。

ただそれだけ。

自分が満足する滑りをしたいんだなー。

ただそれだけ。


私本当は誰かと比べること全然好きじゃない。

滑りに点数がついて、
順位が付くことが
なんとなく嫌だなーって
感じなくもない。


でも、点数って、
誰かと比べての順位ではなくて、
自分が目指してるものに少しでも
近づけているのかどうかの
指針になるんだよね。


去年の自分が劣ってたわけではなく、
今の自分が優れているわけでもなく
偉いわけでも、ダメなわけでもない。


ただ今やっていることが

今までやってきたことが

点で頑張ってきたことが

全ての点が線で結ばれる。

それが結果に繋がっているってこと。



今年のテク選での私は
いったいどんな線になるのかな。


楽しみすぎる♡


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【看取り学初級講座を受けてきました!】

1月14日
看取り初級学受けてきました。

初級講座では、
看取りをする時の
心の在り方と自分の在り方を
学びました。

これを身体に染み込ませて
当たり前にできるよーになりたいな✨
って純粋に思いました。



あなたは誰に看取ってほしいですか?


って自分自身に問いかけてみてください。
もし誰もいないなら、今からその時のための
仲間作りしませんか?
ってそんな風に
考えることもできるって分かりました。


看取り学を学ぶと
人の看取り方もわかるけど
自分が看取られる側になった時、
どんな看取りをしてほしいのかを
具体的に考えられるよーになるんです。
私はまだまだそこまで達してないですけどね。

あと胎内内観体験では

小学生の時の自分、
母のお腹にいたときの自分
どれだけ愛されて、大切にしてもらって
母のお腹の中にいたのか等を考えてみました。

そしたら涙が流れました。
母の優しさを感じました。

今まで感謝はしてるけど
申し訳ないと思いながらも
心から素直になれない自分

それでも大切にしてくれる母。
色んなことを考えてしまいました。


そんな学びを得た、看取り学初級講座。

次は1日胎内内観の講座を受講します。
きっとたくさん泣くんでしょうけど
色んなことを気付けると思うと
とても楽しみでたまらなーい!



これを受けようと思ったキッカケは
自分が特養で働いていて、
看取りの場をたくさん経験したから。

場数は踏んでるけど、
どうして良いかわからなくて
でも、不安な気持ちでいる家族を
しっかり支えてあげたいって思ったからです。

特養は終の住処と言われています。

多いと月に3人とか亡くなります。

今、看取りケアに力をいれてるという施設、
とても多くなってきてるのではないかなって
思います。

以前、神戸で行われる
ユニットケア研修に行った時も
看取りケアについて発表する教室は
立ち見の人がでるほど人気でした。

それだけたくさんの人が知りたい!って
興味をもっている分野なんですね。

そんな私も
とても興味がある人のうちの1人です。

なので、看取りの本はそれなりに
読みました。
エンゼルケアの本や看取りケアの本など。

でも本を読んで勉強しても
わからないこと、できないことなんて
たくさんあるんですよね。

家族の支えになってあげたくても
支え方がわからない。

悲しそうな表情をしてる家族に
どう接すれば良いかわかんない。

なんて声かけて良いかすらもわからない。

『呼吸は荒くなってますが
本人はもう苦しくないから大丈夫ですよ』
って声かけても
何が大丈夫なんだよ!?
って思われるんじゃないかって、
声かける自分がむしろ不安だったりね。

自信なくてもいいけど、
落ち着いて声かけてあげたいけど
あげれないとか。

悩みはたくさんありますよね。

そんな悩みを共有していただけたら
嬉しいなと思います。

3月末には看取り士になります。
そのために今勉強中の身のわたしです。

看取りをしてて気づいたことや
講座を受けたときの学びを
LINE@で書いてます。

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待ってまーす!

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【看取りの話から学ぶ、それぞれの経験が生んだ当たり前を理解することの難しさについて】

自分にとっての当たり前が
他人にとっての当たり前にはならないって話。


それって当たり前なんだけどね。
他人にとっての当たり前を
理解するのは難しいよね。



だってさ、私は私の人生を送ってきた。


自分の親が私を産んでくれ、
育ててくれた。
近所の友達と遊んだり
幼稚園通ったり、小学校、中学校、
高校と通った。
それぞれクラブ活動や部活に所属してたり、
そこでできた友人と放課後遊んだり。
バイトも沢山経験した。
留学を経験して、大学にも行き、
趣味や仕事も充実してた。



この流れ、保育園か幼稚園で違ったり
留学や大学に
行く行かないの選択で違う人もいれば、
むしろ根本から違う人もいる。


でも一般的と言われてる流れって
まーこんな感じだよね。


でもさ、その流れの中で経験してることって
本当にそれぞれで違う。


先生に怒られる内容だったり
部活の内容の違い、そこから生まれる
成功談や失敗談。


生徒会長になろうとかチャレンジを多くした人
優勝するためにどうするかをたくさん考えた人
先生の言う通りに聞く
いわゆるいい子をしてきた人
仲間に入れない子
友達作るために頑張ってきた子


経験は人の数だけ違う。


だから今私が思っていることを伝えても
そのままは伝わらない。


それは私の経験を通して創り上げられてきた
考え方を伝えてるから。


そして受け取る側もその人の経験を通して
創り上げられてきた自分を通して
その私の伝えた内容を理解しようとするから。


必ずしもイコールな内容には理解されずらい。


同じ事柄を
深くまで考えてる人と
浅くしか考えてない人


同じ内容を伝えられても
同じように受け取れるわけがない。


これを昨日すごく感じた。



友人と看取りの話をした。


看取りとは
医療行為をこれ以上しても
回復の見込みのない状態のこと


その先に自宅で看取るか、病院で看取るか
施設で看取るか
の選択が迫られるってわけ。


それぞれの場所でのメリット、デメリットが
あるからそれはまた書きます。



今回は看取りの話をしていて気付いた
それぞれの当たり前の違いについての話




友『ねー、うちに看取りになるおばあちゃんが帰ってくるの。でね、お母さんが不安になっちゃってて。責任重大だってお母さん言うし。どう声かければいいと思う?』


私『そーなんだね。んー。私はその不安はどこからくるのか考えてもらえばいいと思うよ。あと責任も。漠然としてるから不安だし責任も感じてしまうんだよ。でもその気持ちはとてもよくわかる。』


こんなやりとり。

これももっと内容あったけど
あたしなりの友人のコメントを
解釈するとこんな感じになる。


私はそれに対して上記のように返した。


私の当たり前を友人が友人母に
伝えたみたいだけど、経験が違うから
理解できないことが多いって言われたらしい。


あーーーそうか。

私と友人は施設でそれなりに
たくさんの死をみてきて、
たくさん学ばせて頂いてる。
そのおかげで死に対して冷静に考えられるし、その人の死を温かく
見送って上げたいって思える。


それがあるから、
この当たり前があるんだなーって。
介護士してて当たり前に死をたくさんみてて、当たり前に看取りについて考えてるから、
当たり前に自分について考えてるから
こーやって落ち着いて
考えられるんだなーって。


冷たいかもしれないけど、
他人のことだからっていうのもあるのかな。
自分の身内の死はそんなに経験がないから
まだわからないことが多いけど。


ちょっと逸れるけど、
これができる私がすごいんじゃなくて、
友人は友人なりに当たり前のことが
たくさんあって、
友人母にも母なりの当たり前が沢山あって、
その当たり前が多い世界にぶつかったとき、
その人はとても輝けるって話なんだょね。



で、戻るけど、友人母はあまり死を
目の当たりにする経験がない。

だから死に対して漠然とした不安しかない。
だから死に逝く人を目の前に
どうしていいかわからないし
責任重大だと感じてしまう。



死を漠然として怖いものととらえる
人が多いのは間違いない。


けど本当に死って恐いのかな?
何が恐い?
何が不安?

それって考えたことあるのかな。


看取りの場での責任て何?

みんなで看取りをして、
毎日母に触れてあげ、母を温かく看取る。

それだけで十分なのに、
それ以上に求めることはない。
できることをやるだけ。


できることをやる。
それがとても難しいんだけどね。

何もしなくていい
ただそばに居るだけ

がとても難しい日本の文化。


もどかしくて何かやらなきゃ!
ってなってしまう日本の流れ、常識。



ただそばに居るだけ、そこに居るだけ

それが母にとって、
娘であるあなたに感じる価値なのに。


なんて考えながら
人に伝えるって簡単だけど
理解してもらうってっ難しいなーって思った。


だからこーゆーときには
理解してもらおうと思わずに、
とりあえず思いを伝えて
一緒に考えることが大事なのかな。


なんて感じたりもした。


看取りってナイーブな問題だからね。
色々な人の感情や想いが入ってくるし
様々な家族間の問題もあるしね。


看取りの話はタブーじゃないよ。
当たり前に生を親からもらったんだから
当たり前に死だって経験するの。

おめでとう☺よかったね✨
って産まれてきたんだから
同じように死も考えてあげなきゃ。
同じ人の人生なのに、
生は快く受け入れるのに
死は受け入れられないって
なんか違うと思うの。


だから話すってことがとても大切だよね。
受け入れるために
今話すこと。

まだ元気だから先の話じゃなくて、
元気だからこそ
たくさん考えられるうちに話しておく。



それが幸せな看取りの第1歩じゃないかな。


****************
教えない介護インストラクター
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****************
介護のプロとして、知識はあるけどあえて教えません。それは、話をする中で、『自ら気付く』ことがたくさんあるから。
そして介護の現場でも、『自ら気付く』ことが現場でもっとも大切だから。
教えられたことは、なかなか現場で活かすことはできなきけど、自ら『気付いたこと』は現場で活かせる。LINE@では看取りの話をメインにしてます。もっと深く看取りについて考えたい人は、LINE@へ登録してください。無料なんで、よかったら✨

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【優しい人ってどんな人?】

優しくない人が嫌い

っていうブログを読みました。


それを読んでとても共感した私。


内容はちょーざっくりだとこんな感じ。


優しくない人は
自分の世界を中心に生きている人。=強い。

優しい人は
周りに合わせて生きている人。=弱い。

                                                                            • -

そんな私も以前は
優しくない人が苦手だった。


正論通してくるし、意見バンバン言うし、
自由にしてるくせに、みんなに好かれる。
個性的で目立つし、自分軸があって強い。
嫌われることも怖がってないし。


こんな風に思ってた。

まー素直にいうと
本当はうらやましかったんだよね。



で、その時の私はというと、
優しいふりをして、実は腹黒かった。


人なんてまーったく信用してないし
彼氏にもどーせ裏切られるんだから
信用しないとか言ってたし、
でも好かれてる方が得だから、良い顔したり、
笑ったり、ときに話合わせたり、
物分かりいい振りしたりね。


もっと色々あるけどさ、
まーとりあえずひどかった。


そしてココロの中では
ありのままの自分でいたいのに、
ありのままで居て否定されるのが怖くて
偽りの自分で生きていた。



しかもスノーボードしたり
憧れの地、長野に移住したりして
私は私なりに
好きなことばかりして生きてるから
これ以上は求めちゃいけないし
今のこの中で幸せに気づかなきゃって
偽りの自分の中に幸せを求めてた。



そしてある時
自分っていったいなんなんだろう?
自分らしさってなんだろう?
自分どーしたいんだろう?
って考えた時に、
よくわからなかったんだょね。



好きだった元彼に自分らしさと思って
自分の思いを伝えたら彼氏にふられたり、
こっちが嫌いになったり。
否定される度に自分がわからなくなる。


自分が考えてることを意見することが怖くて
一般論で返してしまう時もあったり
同じ内容の話を、複数の人と話したりして、
ある人と話す時は楽しいのに、
あるの人と話すと全然楽しくなかったり。


私はいったい何を感じて嬉しくて
いったい何が楽しくて、嫌なのか。
むしろ自分の意見とはなんなのか。
わからなかった。



自分軸で生きてないから
他人にあわせてばかりだから
好きなことを好きって言う
自信がなかったんだ。
私はこう思う!って言う自信がなかったんだ。
誰かに『それは違くない?』って言われると
嫌われたような気がして
いけないこと言っちゃったかなって
自信なくしたりしてさ。



だからこそ、
誰かに、『わかるー!そーだよね!』って
言われることこそが、
誰かに認められることこそが
私の価値であると思ってた。



どこかでそんなことない!
っていうのもわかってるんだけど
たんに向き合うのが
怖かったっていうのが本当のところなんだ。


だってさ、向き合って、
今までの自分を否定することになったら
今まで努力して積み上げてきた偽りの自分を
全否定することになるんだもん。



とてつもない努力をして、
みんなと合わせて、働いて
友達関係も築いてきて、
偽りの自分にあった環境を作ってきたのに。


それを否定したら、
仲間も全部いなくなっちゃうんだもん。


怖すぎる。


だから全てを周りにあわせてたんだよ。



そして私にとって
この偽りの自分を手放そう!と思えた
キッカケが結婚だった。


今の仕事を辞めて
旦那さんのところに引越しをする。


今の住んでるところを離れて
新しいところで生きなおせる!



ってことは、
今いる仲間も全部リセットできる!
だからこそ、今向き合おう!って。




で今に至るんだけどね。



結局、色々向き合ってみて
今の自分がわかったことは
前のままの自分は
充分価値ある自分だったってこと。


なによりも

自分の在り方は
本当にそのままで良かった


好きなことを追い求めていた自分。
スノーボードのために長野に来て
好きな介護の仕事をしてる自分。
好きなことのために勇気をだして動ける自分。


それは昔から誇らしかったし、
だからこそ、自分自身を否定する
必要なんてなかった。




ただ、直したいと思ったのは

ココロの在り方だった。



何かや誰かに満たされてる自分に
自分らしさがあると思っていた自分。


そんな自分のココロの在り方は直したかった。



インストラクターをしてて
まー普通の人よりはかなり上手に
スノーボードができる自分。
そんな自分は普通の生活をする上で
価値があると思ってた。


そーやって、スノーボードをしてる自分に
価値を見出していたの。



だから元彼に以前
スノーボードをやめろって言われた時は
自分の価値がなくなるから
本気で無理って思ったよ。


あとはマラソンしてる自分。
介護士してる自分。


つまり〇〇してる自分に価値を感じてて
何もしてない自分には
価値を感じることができなかったってこと。



つまりは自分という存在自体に、
価値を感じてあげることが
できてなかったんだよね。


ていうか価値を感じるための
やり方がわかってなかった。


自分で自分を大切にしてあげてない。
ていうか大切にするやり方がわかってなかった。


そんな状態だからさ、
周りにあわせることで、自分とまわりの
釣り合いをとっているんだょね。


そしてなんとなく辛いんだよね。



そしてそーゆー人にはもれなく
自分と同じよーな人を引き寄せる。


だから当たり前に自分の周りには
自分みたいな人(周りに合わせる弱い人)が
たくさんいる。



一方、自分軸で生きてる人の周りには
実は別のコミュニティーをもっていて、
その人の周りには、その人みたいに
当たり前に自分軸で生きてる人が
たくさんいるんだよね。




しかも周りに優しい人ってさ、
結局人に気を遣うから
人のことたーくさん考えてるんだょね。
自分が満たされてないのに、
人のこと満たそうとする。


自分が満たされてないのに無理をするから
ときに無理だと思ってないこともあるけど、
伝わらなかった時に、イラッとする。
そしてたまに積もりに積もって爆発する。
無理をしてやってあげてるのに
なんで?ってね。


これは今だからこそ本当に心から思う。
自分を満たしてあげてから、
相手に与えてあげれば良いのになって。


そしたら本気で、見返り求めないから。
見返り求めてる自分に気づいたら、
それは自分が満たされてないって証拠だから。



しかもね、こっちが満たしてあげようとしても
相手が自分を満たそうと思ってなければ
こっちの意思で、相手を満たすことは
いっこうにできないんだよね。


こっちがいくら相手に与えても
相手がそれを受け入れる体制が整ってなければ
それはただの
無駄な努力になってしまう。


だって受け取ろうとしてないんだもん。
分かろうとする気がないんだもん。


プレゼントあげても
欲しくないって思ってるんだもん。

もう持ってるからかもしれないし、
あなたからは欲しくないって
拒否の気持ちもあるかもしれない。
それは相手の感情だからわかんないけど。


可愛いねー!って褒めても、
ありがとう✨
って受け入れる勇気ないんだもん。


恥ずかしいし、
自分は可愛くないからやめて!
っていう理由で。


素直に受け入れたら
外から変な風に思われないか、
図々しいって思われないか、
痛い人だって思われないか


不安なんだもんね。


本当は素直に受け入れたいけどさ。


それか本当にいらないからって
いうのもあるけどね。
これはここではおいとくー!

だから、まずは素直にありがとうって
みんなが与えてくれたものを
素直に受け取ることから始めるんだよ。


プレゼントやお金や愛情を
素直に『嬉しい!ありがとう!!』
って受け取る練習をするの。



そして、受け取ろうとした時の
自分の本当の感情を大切にしてあげるの。
何を感じてるんだろう。
なんでそう思うんだろうって。



もしその時、素直に受け取れないとしたら
その理由を考えてみる。



相手に、何が下心があるんじゃないか?
と思ったとしたら、
自分のココロにまず聞いてみる。


自分のココロに下心がないかな?って。



人を疑うってことは
自分を信じてないってことだから。



基本的に人間は、
自分というフィルターを通して
相手を見ているから


相手に
下心があるんじゃないか?
って思った時は
むしろ自分自身になにかしらの下心があるはず。


その自分の下心をいったんなくしてあげる。
そーするともしかしたら
素直に受け取れるかもしれない。


素直に受け取るを積み上げていくと、

自分にとっての
心地よいこと、悪いことがみえてきて


自分らしさがわかってくる。




結局

私にとっての優しい人とは
本心をぶつけてくれる人。
私に疑問を投げかけてくれる人
否定してくれる人、
違和感を感じさせてくれる人。

なぜなら、自分らしさを見つける
大きなヒントをくれるから。



表面的な付き合いなんてもういらない。
付き合うならドップリがいい。



心から大好きな人たちと
ドップリ付き合っていきたい。



自分の人生に向き合わせてくれる人たちと
ドップリ付き合ったいきたい。


本当に価値観変わったなー自分(笑)


まだまだ私も発展途上で勉強中だけどね。


日々こーやって
人の価値観に触れてみて
色々素直に受け取ってみて、
自分の中で消化することが大切なんだよね。



だからこそ、
今回のこのブログを通しての出会いに
感謝しちゃうよねー!♡



ありがとうございました!(*˙︶˙*)☆*°


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【自分らしく生きたいなら、まずは世間でいう常識と普通に疑問をもつこと】

【私の常識と普通リスト】


年上には敬語使う。

自分の名前で自分を呼んでたら、子供っぽい、恥ずかしい。

ワガママを言ってはいけない

人に迷惑かけてはいけない

親に心配かけてはいけない。

死に逝く人を目の前に微笑んでいたらいけない。


すらっと上がってくるものがこんな感じ。
もちろん他にも色々あるけどね、
今すぐには思いつかないから
とりあえずはこんな感じ。


こんな常識が今、自分らしく生きることに
制限を与える原因となっているんだよね。


でね、よーーーく考えるとこれって全部
人に言われてきたものだ!って気付くの。


そして、人に常識だから!って言われると
なんでか守らなきゃいけないものって
思ってしまうのも事実でね。


そして常識人じゃなきゃ
社会で適応できないって言われるし、
常識人じゃなきゃ、
社会で使えないってレッテル貼られるの。


私自身、友達にちょっと変わってるよね!
って言われることはあるけど
それって私けっこう嬉しくて、
それこそが私らしさだから、
その私らしさが伝わってるんだ!って
嬉しいの。


でもそんな私でも、
社会で使えないよねっていう
レッテル貼られたことはないんだ。
当たり前に
頑張ってたからさ、認められるために。
自分らしくないのに頑張ってたから。


もちろん今までは常識を
できるだけ守ってきたから
たくさんのメリットがあるのもわかる。
しかも普通でいれば
みんなと同じでいれるから、
みんなの仲間に入りやすい。


でも、誰かに言われたからって、
納得しないまま実行している
常識や普通って、
やっぱり自分らしくないのも事実なんだよ。



そんなふうな自分らしくない生き方に
あまり魅力を感じない私。



だからこそ自分と向き合う中で、
その常識と呼ばれるものを
全部試しにあえてやってみた。


やらずに納得せずにやり続けるくらいなら
やってみて、本当にダメなら
自分の常識として取り入れる。


そんなことをやってみた。


その感想がこれ。



年上には敬語使うこと

全タメ語は心地悪すぎるから、やらないけど
適度なタメ語は混ぜてしまっても
ぜーんぜん問題なかった。
むしろ自分には心地よかったし、
あたしも年下からタメ語で話しかけれても
全然OKなほうだから問題ない。

そして相手はどう思ってるかは知らないけど
今のところタメ語で話して文句は聞かない。

もちろん初対面の人とか、
あまりにも人を
ジャッジしてくる人に対しては
敬語を使うけど。
そういう人に対しては、
タメ語をしゃべることの心地よさが
自分にはなかったからっていう結論。



自分の名前で自分を呼んでたら、
子供っぽい、恥ずかしい。

これってさ、自分の名前に
誇りもってないよねって感じる。
あたしもTPOで使う時と使わない時あるけど、
これを言われたのって中学生のときだった。
それまではゆかって自分のこと呼んでた。
でも、ある時からあたしに変わった。
今はむしろゆかって名前好きだし、
ゆかって呼んでもいいかなーって思ったり。
だから旦那の前とかでは
たまにゆかって言ったりするときもある(笑)
まだ人の前でゆかって言うのは
心地よくない!(笑)




ワガママを言ってはいけない

これってさ、ワガママの意味を
はき違えてると思う。
ワガママってさ、我がままでしょ。
自分らしさだよ。
子供の頃の自我は良くて、
なぜ大人になったら自我はダメなの?
大人になったら我慢しなきゃいけないの?
それが違う。
ワガママを言うのは自由。
それを受け取る相手が、その自我を
受け取るか受け取らないかを決める。
それもまた相手の自由。
だから自我を伝えるのは
いっこうに構わないと思うのね。

自分の思いを伝えること

これが1番大切だと思うんだょ、私は。




人に迷惑かけてはいけない

人に迷惑はかけてもいいんだって。
迷惑ととるか迷惑ととらないかも
受け取る側の自由だから。
迷惑って、マイナスなイメージだけど
言い方変えると、頼る、甘えるになる。
もちろん、時に
やりすぎはいけないこともあるけどね。
頼ったり、甘えたりできるって
それだけ相手を信頼してるって証拠だから。
信頼してるからこそ、迷惑かけれるんだよ。
安心して迷惑かけれるってすごくない?




親に心配かけてはいけない。

親は何にでも心配するものだから。
心配かけない選択って、
むしろ何もしないことにしかならない。
心配してもらってありがたいと思いながら
色々挑戦すればいい。
いつでも親は自分の味方だから。
そー信じること。
そして心配かけたとしても
結局は幸せそうに楽しそうにしてれば
親は安心してくれるから。大丈夫。

お前が言うなよって?(笑)
でもあたしはそんな親になりたいんだよー!




死に逝く人を目の前に
微笑んでいたらいけない。

今までも、
死に逝く人をたくさんみてきた。
その中で、もう会えないことに対しては
悲しいと感じたことあるけど
安らかに逝けたことに対しては、
良かったねって
微笑んでしまうことが多かったんだょね。
でも過去に誰かに言われたことが
どーしても抜けきれなくて、
微笑むことは失礼なことって
どこかで思ってしまってて。
でも先日、看取り士さんとお話したときに
死は喜びだと聞いて、なんか腑に落ちた。




こんな風にゆっくり向き合っていくと、
今まで縛り付けられてきた常識が
常識じゃなくなってきたりもするんだょね。


当たり前が当たり前じゃなくなっていく。


すると
今まで相手に違和感を感じていた何かが
実は自分の捉え方の問題だったって
気付いたりもする。


それ普通だから!

って誰の普通?
誰の基準の普通?

そーやって一つづつ丁寧に向き合ってみる。



そして全て心地良いと感じる方を
選択してみる。


すると新しい今が見えてくる。



自分なりに気付くから意味がある。


それに尽きる。

ながながと読んでいただき
ありがとうございました♡


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