⚫⚫そのまんまのゆかの場所⚫⚫~看取り士ゆかのブログ~

●○●私の1番の理解者はいつも私自身●○●

【看取りの話から学ぶ、それぞれの経験が生んだ当たり前を理解することの難しさについて】

自分にとっての当たり前が
他人にとっての当たり前にはならないって話。


それって当たり前なんだけどね。
他人にとっての当たり前を
理解するのは難しいよね。



だってさ、私は私の人生を送ってきた。


自分の親が私を産んでくれ、
育ててくれた。
近所の友達と遊んだり
幼稚園通ったり、小学校、中学校、
高校と通った。
それぞれクラブ活動や部活に所属してたり、
そこでできた友人と放課後遊んだり。
バイトも沢山経験した。
留学を経験して、大学にも行き、
趣味や仕事も充実してた。



この流れ、保育園か幼稚園で違ったり
留学や大学に
行く行かないの選択で違う人もいれば、
むしろ根本から違う人もいる。


でも一般的と言われてる流れって
まーこんな感じだよね。


でもさ、その流れの中で経験してることって
本当にそれぞれで違う。


先生に怒られる内容だったり
部活の内容の違い、そこから生まれる
成功談や失敗談。


生徒会長になろうとかチャレンジを多くした人
優勝するためにどうするかをたくさん考えた人
先生の言う通りに聞く
いわゆるいい子をしてきた人
仲間に入れない子
友達作るために頑張ってきた子


経験は人の数だけ違う。


だから今私が思っていることを伝えても
そのままは伝わらない。


それは私の経験を通して創り上げられてきた
考え方を伝えてるから。


そして受け取る側もその人の経験を通して
創り上げられてきた自分を通して
その私の伝えた内容を理解しようとするから。


必ずしもイコールな内容には理解されずらい。


同じ事柄を
深くまで考えてる人と
浅くしか考えてない人


同じ内容を伝えられても
同じように受け取れるわけがない。


これを昨日すごく感じた。



友人と看取りの話をした。


看取りとは
医療行為をこれ以上しても
回復の見込みのない状態のこと


その先に自宅で看取るか、病院で看取るか
施設で看取るか
の選択が迫られるってわけ。


それぞれの場所でのメリット、デメリットが
あるからそれはまた書きます。



今回は看取りの話をしていて気付いた
それぞれの当たり前の違いについての話




友『ねー、うちに看取りになるおばあちゃんが帰ってくるの。でね、お母さんが不安になっちゃってて。責任重大だってお母さん言うし。どう声かければいいと思う?』


私『そーなんだね。んー。私はその不安はどこからくるのか考えてもらえばいいと思うよ。あと責任も。漠然としてるから不安だし責任も感じてしまうんだよ。でもその気持ちはとてもよくわかる。』


こんなやりとり。

これももっと内容あったけど
あたしなりの友人のコメントを
解釈するとこんな感じになる。


私はそれに対して上記のように返した。


私の当たり前を友人が友人母に
伝えたみたいだけど、経験が違うから
理解できないことが多いって言われたらしい。


あーーーそうか。

私と友人は施設でそれなりに
たくさんの死をみてきて、
たくさん学ばせて頂いてる。
そのおかげで死に対して冷静に考えられるし、その人の死を温かく
見送って上げたいって思える。


それがあるから、
この当たり前があるんだなーって。
介護士してて当たり前に死をたくさんみてて、当たり前に看取りについて考えてるから、
当たり前に自分について考えてるから
こーやって落ち着いて
考えられるんだなーって。


冷たいかもしれないけど、
他人のことだからっていうのもあるのかな。
自分の身内の死はそんなに経験がないから
まだわからないことが多いけど。


ちょっと逸れるけど、
これができる私がすごいんじゃなくて、
友人は友人なりに当たり前のことが
たくさんあって、
友人母にも母なりの当たり前が沢山あって、
その当たり前が多い世界にぶつかったとき、
その人はとても輝けるって話なんだょね。



で、戻るけど、友人母はあまり死を
目の当たりにする経験がない。

だから死に対して漠然とした不安しかない。
だから死に逝く人を目の前に
どうしていいかわからないし
責任重大だと感じてしまう。



死を漠然として怖いものととらえる
人が多いのは間違いない。


けど本当に死って恐いのかな?
何が恐い?
何が不安?

それって考えたことあるのかな。


看取りの場での責任て何?

みんなで看取りをして、
毎日母に触れてあげ、母を温かく看取る。

それだけで十分なのに、
それ以上に求めることはない。
できることをやるだけ。


できることをやる。
それがとても難しいんだけどね。

何もしなくていい
ただそばに居るだけ

がとても難しい日本の文化。


もどかしくて何かやらなきゃ!
ってなってしまう日本の流れ、常識。



ただそばに居るだけ、そこに居るだけ

それが母にとって、
娘であるあなたに感じる価値なのに。


なんて考えながら
人に伝えるって簡単だけど
理解してもらうってっ難しいなーって思った。


だからこーゆーときには
理解してもらおうと思わずに、
とりあえず思いを伝えて
一緒に考えることが大事なのかな。


なんて感じたりもした。


看取りってナイーブな問題だからね。
色々な人の感情や想いが入ってくるし
様々な家族間の問題もあるしね。


看取りの話はタブーじゃないよ。
当たり前に生を親からもらったんだから
当たり前に死だって経験するの。

おめでとう☺よかったね✨
って産まれてきたんだから
同じように死も考えてあげなきゃ。
同じ人の人生なのに、
生は快く受け入れるのに
死は受け入れられないって
なんか違うと思うの。


だから話すってことがとても大切だよね。
受け入れるために
今話すこと。

まだ元気だから先の話じゃなくて、
元気だからこそ
たくさん考えられるうちに話しておく。



それが幸せな看取りの第1歩じゃないかな。


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介護のプロとして、知識はあるけどあえて教えません。それは、話をする中で、『自ら気付く』ことがたくさんあるから。
そして介護の現場でも、『自ら気付く』ことが現場でもっとも大切だから。
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