⚫⚫そのまんまのゆかの場所⚫⚫~看取り士ゆかのブログ~

●○●私の1番の理解者はいつも私自身●○●

【認知症の利用者には、安心させてあげることよりも、不安にさせないことが大切だって話】

看取りにつながる全ては
今ここ、今この瞬間。

今この瞬間を大切にするから、未来も輝く。



死ぬ時に、輝いていたいなら

後悔したくないなら、

いつかの自分を輝かす方法を考えるより

今この瞬間の自分を輝かす方法を

一生懸命真剣に考えた方がいいと思うんだ。




これを介護の仕事にも当てはめてみると、
私たちの仕事の対象は高齢者なの。



じゃーどうしたら
利用者の今この瞬間は輝くのかって
考えてみると、



それは自分の欲が叶うことだと思うの。


やりたいときにやりたいと思ったことをできること。


後でやろーねー!じゃなくて、
今この瞬間にやりたいって思ったことが 、
叶うこと。


やりたい!って思っていることを

だめ!って抑制されないこと。

批判されないこと。

そーだね。って受け入れてもらうこと。

認めてもらうこと。


だと思うの。

もちろん忙しく業務をこなしている
私たちにとって
その利用者の全ての欲を叶えてあげるのは
難しいかもしれない。



でもきっとその欲の本質ってね、

なんだかんだ紐解いていくと


《寂しいからかまって欲しい》
《良くわからなくてとりあえず不安》

っていう2つにいきつくと思うんです。


だからこそ、
利用者が利用者のタイミングで
アプローチしてきた時、
否定するのでなく、
あたたかく受け入れることが
大切だと思うんです。



トイレ行きたいんですーって言ってきた時

テーブルを叩いてる時

急に大声で歌を歌い出した時

歩き出した時

車椅子から立ち上がろうとしたとき


そーやって利用者は何かしらの
『私を見て!!!』
『私は不安です!!!』


っていうアプローチをかけてきてる。


その時に、寄り添ってあげること。
それがとても大切だと思うの。


それ以外の時は、言葉悪いけど
放っておいても問題ないと思うんです。


もちろん話ができない方
動けない方もたくさんいるから
その方たちは定期的に
しっかり関わってあげるのも大切。


でも、問題行動と言われてしまいやすい行動をしてしまう利用者の方々に関しては、そのタイミングでしっかり関わることが大切なわけです。


そーやって不満な要素が減らされていくことによって、利用者は結果的に安心して馴染んでくれるわけです。


ここに自分がいていいんだ。

ここが自分の居場所なんだって。


ある時すっと腑に落ちるときが来ます。




腑に落ちるまでひたすら寄り添う


これです。




考えてみて。


好きな人がいるとき。
あなたが不満に感じる時ってどんな時?


きっとそんな時は
寂しくてしょうがないのに
相手してもらえない時。


不安でしょうがないのに
それに寄り添ってくれない時。



そんな時にして欲しいのはどんなこと??



大丈夫だよー
私がいるよー
いつでもそばにいるよー
そのままでいいよー!


ってありのままを受け入れてあげて
不安にさせないことなんだよね。



ここでのキーワードは

安心させることが大切なわけではなくて、
不安にさせないことが大切。
なんだよね。




安心した毎日の暮らしって、
かなりプラスだから、
そこまでもっていくのってとても大変。


たくさんの人をみている介護士さんにとって
まずは0にすることがとても大変なんだよね。


だからこそ、
まずは不安を感じない毎日の暮らしにしてあげることが大切じゃないかなって。



好きなことをしてあげるんじゃなくて、
嫌なことをまずはしないってこと。


やりたいことをやらせてあげるんじゃなくて
やりたくないことを無理強いしないこと。



好きな食べ物を食べさせてあげるんではなくて
嫌いな食べ物をまずは出さないようにすること。


満たされることを考えるんじゃなくて
不満な要因を極力減らしてあげること。



これが全ての基本につながる気がするなー。




私たちが生活する中で、
満たされることもとても大切だけど、
まずは不満を感じないよーにするってことを
コツコツと積み上げていくの。



満たされることを目標にしてると、
満たされないことが不満になるけど
不満を一つづつ確実に減らしていけば、
いつか不満がなくなるときがくるはずだから。




だから大丈夫。


絶対腑に落ちるときがくるから。


それまでの辛抱だよ。


利用者を信じてあげよう。


って書いてはみたけど、

ひたすら寄り添うってことは
個人的にはやってるけど限界あるし、

施設全体では私の施設でも
やりたくてもまだできてないこと!(笑)


でも次働く施設では
これを取り組んでるところだって話だから
本当に楽しみだー♡


ここが居場所だって、腑に落ちることのできた施設にいれることが、利用者にとっての幸せであると思うんだー。


より良い看取りもそこから生まれてくると思う。利用者の今の感情を、大切にしてあげられる施設作り。

そんなの楽しいね。


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【自分の経験談をシェアしませんかー?テーマは看取り、介護、愛、幸せのどれかです♪】

LINE@を通して、お悩みなどの相談を受けてて感じること。


みなさんこそ、素敵な考え持ってるなーって。

私のブログに共感してくださって、LINE@に登録までして下さって、連絡くださるみなさんとお話していると、私も本当にみなさんの考えに共感しているし、むしろ本当に素敵だなーって感じてます。


私のLINE@は介護の仕事をしていて、看取りに対して興味を持ってる方が多くいます。


そして看取りっていうテーマなだけあって、私より年上の方が多い。
しかも介護経験も私より長い方が多いです。



そして人生経験が長いだけあって、私にない思いや考えを話してくれたりするので、本当に勉強になってます。


もう本当に本当に
ありがとうございます!!( *˙꒳˙* )




こーやってたくさんの方とお話する機会をいただく中で、私だけに止めておかずに、みんなでシェアできると、とても楽しいなって改めて思いました。


そして、経験談を誰かと共有するって、それだけですごい学びになると思うの。


そーゆーの、興味ある方いらっしゃいますか?


テーマは、愛の話、看取りの話、介護の話、とかかなー。

色々やると大変だからテーマは参加する方の希望に合わせてやりたいと思うんですが!


そしてやるなら、おしゃれなカフェとかで開こうと思うけど、興味ある方いるかなぁ??


まだ日程とかは未定ですー。

もし興味ある人いたら、LINE@に連絡してくださいませんかー?


お願いします♡(*˙︶˙*)☆*°


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【介護の最大の魅力は、自分の得意分野で利用者を支えてあげることができるということ】

今日は夜勤明けでしたので、朝から寝てました!

つい先程起きて、LINE@を通して連絡くださった方が、看取りの講演会に興味をもってくれたとのことで少しお話をしました⤴

そして実際に講演会にも来ていただけることに!そーゆーの、とっても嬉しいですっ!😊

ぜひたくさんの方に来て欲しいですね♡

ちなみにその講演会はこちらです。

f:id:guchiyuka:20170212200901j:plain

ご興味ある方はぜひ連絡ください☆

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で、今日の夜勤中の話です。

夜勤の相方と、資格についての話をしていました。


私は看取り士をとりたいんですーって言っていて、相方は今、認知症指導管理士の資格をとろうと思ってるのーって。


やっぱり資格はあって損はないからねー。
なんて話をしてたりして。


そんな資格の話をしてた中での気付きの話です☆




私、今までケアマネの資格を取ろうと2回受けてみたけど、落ちました。


あと数点足りずに何年も落ちてる人って私の周りにもたくさんいて、あたしももれなくその1人(笑)


資格は持ってて損は無いと思っていたから、働いて5年たったし、みんな受けてるし、私も取ってみようかなーってそんな気持ちで受けていました。


でもケアマネの仕事に就く予定もなく、勉強にも身が入らない。。勉強し始めれば楽しいけど、するまでは億劫だし、制度のところはつまらなすぎる。。。それは変わらなくて。。


つまりは私には合わないんです。(*´□`*)


私、介護は好きだけど、
介護保険制度を覚えることは好きじゃない。


利用者と関わるのは大好きだけど、
書類と向き合うのは好きじゃない。


身体をつかうのは好きだけど、
頭使うのはとても苦手。


レクやったり、利用者と遊ぶことに関しては意見も言うし、率先して動くけど、
排泄ケアのパットはどこの業者がいいとかの話し合いはあまり興味無い。。


利用者とお話をするのは好きだけど、
利用者の利用調整するのは好きじゃない。


ほんとにそんな感じ。
ただ純粋に好きか嫌いか、得意か得意じゃないか、やりたいかやりたくないか。

ただそれだけ。



で、仕事だからみんな我慢してやってるんだし、やらなきゃダメでしょ!っていうのもあるかもしれないけど、それってそーゆー現実を自分で選んでるからそーなるだけなんだと思うんだよね。


自ら選択して生きてきて、今がある。


嫌ならやらない勇気を出す。
そんな選択してもいいと思うの。


そもそも本当に好きなことをやってる中で生まれてきた嫌なことだったら、自然と出来ちゃうことっていうのもあったりもするしね。



で、私はなんだけど、基本的に得意なところで積極的に動くから、苦手なところはみんなよろしく!そんなスタンスで働いてます。


得意分野が少なく、
少し頑張ればそつなくある程度
こなすことができてしまう私が、
無理しないことを決めた
ときからは、
もー何もかもみんなにやってもらっちゃってるなーってくらい、常にみんなに助けてもらってる。そんな感覚です。


まーつまりは本当に本当に、
最大限に感謝なんですね!!



私はだけど、無理をすると、結局利用者に還元できないんです。

そつなくこなすことはできるけど、それでも少し頑張ってこなしてるから、最初は良くても、それがつもりに積もってくるとかなりの負担になってることも事実で。


その結果、無理して頑張り続けると、やりたいこともみえなくなっちゃうし、好きなことですら、やりたいと思えなくなってしまう。
ってなってしまうし。


だからこそ、無理をしない勇気を出したっていう感じです。



でそんなことを決めた私は、
忘れっぽいからすぐ色々忘れてギリギリになるし、みんなに
『あれ、どーする?!』って聞かれて
『あっ!忘れてた!』って良くなる。


リーダーなのに、みんなに動いてもらってばかり。もーそんなのしょっちゅうすぎて。


だから私は
『いーよー!いーよー!ぜひやろう!』って言ってるだけ(笑)


で、当日は盛上げる!
それが私の役目(笑)みたいな。


ていうかなによりも
業務内容にこだわりがない分、利用者の日々の楽しみに対してこだわりがあってね。

っていうのが私の強味であり役割だと、勝手に自分で決めている。


これってさ、それぞれの生き方が影響してると思うのね。


業務にこだわりがある人って、なんなんだろー。日頃からプランだてして生活してる人なのかなー。それがとても良いと思ってるし、得意分野なんだろーなー。


で、私みたいに利用者の楽しみに目を向けてる人って、普段の生活でも楽しいことたくさん見つけよー!って努力してる人だと思うし。


利用者の排泄ケアに目を向けられる人って、不快な気持ちを理解できる人で、たぶんそーゆー不快な思いをたくさんしてきたから、取り除いてあげたい!って思える人なんだろうと思うし。


好きだからこそ、頑張ってる意識もなく頑張れる。

日々の暮らしで無意識的に良くしようとしてる分野だからこそ、自然と利用者の立場になって考えられる。

そんな分野で利用者のことを考えることを、自分が一番楽しんじゃう、そんな、スタンス。

そんな得意分野で活躍できる、そんな環境。そんな働き方


そーゆーの、とても素敵だと思うの。




本当にそんなことでいいと思う。


好きじゃないこと、苦手なことを無理してやろうとするからしようとするから疲れちゃうんだよね。


私たちは利用者の生活を支える仕事をしてるだけだから、特別なことはしなくていいと思う。


介護ってさ、生活を支える仕事だからこそ、それぞれの得意分野で利用者を支えてあげることができる仕事だと思うの。


それこそが介護士という職業の最大の魅力だと思うなー!!!!!


だからこそ、私はケアマネより、看取り士を選びたいなーって思って思うーって話でした。(笑)


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良かったら☆
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【1晩で2人を看取る】

先日この看取りに関してのブログを書きました。


【抱きしてめて看取る】
http://guchiyuka.hatenablog.com/entry/2017/02/06/062225


ここで出てきたお2人の利用者。



今朝早番で仕事に行ったら、施設の玄関に霊柩車が1台。


ついにか、、、と思い走って施設の中に行くと、2人亡くなったよと。


『えっ!?2人っっ!?!?』



聞くと、危なかった1人とまだ大丈夫だと思っていたもう1人の方が1晩で亡くなったとのこと。


5年特養で勤めていますが、1晩で2人亡くなったっていう経験は、今日が初めてでした。



家族とも会えなくて、抱きしめてあげてくださいねって言えなかった。


ていうか、本当に家族に会う機会も無かったんだけど、伝えたいと思いながらも、伝える勇気が出なかった。

こっちの方が表現的には正しいかな。



私が夜に抱きしめて心音を聞いた利用者さんのお見送りをする前に、お化粧をしたお顔を見せていただいた。お顔にふれたらまだ温かかったんだ。


夜中の2時頃に息を引き取って、私がお顔を見たのは7時頃。


こんな時間がたってて、まだ温かいなんて普通にはない。だからきっと本当は冷たかったんだろうけど、抱きしめた時の温もりが残っていたのかなーなんて思いながら、ご家族の最期の言葉を聴いて、涙が出た。


『ここで最期まで看ていただいて、母も幸せでした』と。


とても良い看取りができたと感じてます。



そして、この方も、もう1人の方も看取り加算をとることができています。



今日、昨年度、施設で亡くなった方のリストを見ました。
1年で29人も亡くなっていたんです。
それは施設の約3分の1の人数。



もちろん長く住まわれる方もいらっしゃいますが、特養の入れ替わりはとにかく早く3年でほとんどの方が入れ替わります。皆様ご高齢なのでね。この数字を見るだけでも歳をとってから住む環境を変えるって結構利用者さんにとっては負担だってことです。


だからこそ、その入所前の生活と入所後のギャップをなるべく埋めてあげて、ストレスの少ない生活を支援することが、私たち介護の役目だと思ってます✨


まー要はその人らしさを大切にするってことですょね!( *˙꒳˙* )


だからこそ、今生きているこの時間こそが大切なんだなーって改めて感じました。


看取らせていただく機会は、特養だからこそたくさん経験できます。また看取りをすることで、たくさんの学びを得ることができるのも事実です。


亡くなった方々にもう会えないのは本当に寂しいですが、その方の生き様を死にざまを通して教えてくださっています。


御冥福をお祈りすると同時に感謝の気持ちでいっぱいです✨


抱きしめて看取る看取り士による講演会が様々なところで開かれています。ご興味ある方はぜひご参加ください☺⤴


ちなみに私の施設で使っているエンゼルケアで使用しているエンゼルメイク用品はこれです。
ご遺体専用のメイクキットです。
看取り加算を取るってなった時に、使用することを決めました。おすすめです✨

モリーシオン
http://www.hum.co.jp/angel/sion.html



なにかご質問等ありましたらこちらまで☆

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【抱きしめて看取る】

今施設に看取り段階の利用者が2人。

1人は落ち着いてるけど、もう1人はなんとなく近いなーって感じる。

そのなんとなく近いなーって方、今年度の4月にご家族の協力を得て、自宅外出をしたんだよね。住み慣れたお家に少しでも帰ってもらおうって取り組みをどーーーーしてもやりたくて。それを家族の許可をもらい、院内研修の研究発表の対象にさせてもらってたの。

こないだICのために家族が施設に来た時に、
『あの時の一時帰宅の発表が院内で優秀賞を取ったんですー!しかも3月に神戸のセミナー研修で発表までできることになりました!』ってお礼を言ったら、
『あれは本当にいい思い出になってますー。懐かしいねー!本当にありがとう。』って言ってもらいました。

看取り対象の利用者がそばにいる中で、ご家族と安心して明るい話で盛り上れる。そんな関係って素敵だょね。
でもこれができるって、双方の信頼関係があってこそ。

今までも何度も看取り段階の利用者家族と会話する機会あったけど、信頼関係できてない家族とだと、何話していいかわからない。。

やっぱりこの時って、家族にとっても利用者にとっても最もナイーブ時期だからさらに難しい。

だからこそ、日常的にご家族とお話して、双方が安心できる関係にしておくって大切だなーって思う。

で、先日看取り学初級を受けて学んだ、抱きしめて看取るをさっそくやってみた。
まだ亡くなるのはもう少し先だけどね。

見に行くとさっきより呼吸が苦しそうに見えたんだー。
で、利用者の手を握ったり、抱きしめてみる。
心臓に耳をあてて、その方の呼吸を聞く。

私、この少し苦しそうな呼吸の段階の心音を耳で聞いたの、今日が初めてだった。その音を聞くと、まだまだしっかり頑張って動いてるんだなーってわかった。
そして、まだ大丈夫だって感じた。

で少しすると呼吸が落ち着いてきてて、声は掠れててでないけど『大丈夫』って口パクで伝えてくれるの。

抱きしめるパワーがすごいのか、利用者のパワーがすごいのかわからないけど、とりあえずすごいー!って思った!!

食べ物を受け付けなくなって、もう5日くらいたってるから、たぶんそう長くない。ご家族にも抱きしめてあげたら呼吸が楽そうになりましたよって伝えてあげたい。

発表のときにはきっともうお亡くなりになってるだろうけど、幸せが詰まった発表にしたいなーって思いながら、パワーポイントを仕上げてる今。

そんなことを考えてる夜勤真っ最中です( *˙꒳˙* )

あー神戸でこれを発表できるのも楽しみだし、神戸牛食べるのも楽しみだ♡←むしろこっちメイン(笑)

【おばあちゃんの看取りの思い出(もう20年くらい前の話)】

私昔おばあちゃんと一緒に住んでたの。
中学生くらいまでかな。
母がお家でずーっと看てた。

最期まで。

ちょこちょこ病院に入院したし
通院はしょっちゅうしてた
おばあちゃんだったけど
どの先生にもすごく好かれる
おばあちゃんだった。


『こんにちはー五十嵐さん!元気かい?』

って病院の先生に聞かれると、
ニコニコしながらいつも話すおばあちゃん。
そんなおばあちゃんの通院にすら
着いていくのが大好きだったわたし。


おばあちゃん、着いていくと
いくもジュース買ってくれてたから。

珍しいタクシーにも乗ることができたから。

何より五十嵐さんのお孫さん優しいねー♡
って先生方に言われるのが嬉しかったから♪


私はそんなおばあちゃんが
とても大好きだった。


それでも日に日に弱っていくのも私も分かってて
でもあたしはおばあちゃん大好きだったから、母のお手伝いしてご飯食べさせてあげたりしてた。


学校に出かける前は、
『おばあちゃんいってきまーす!』
って声をかけて、手を握ってから行ってた 。

そーすると、
『ゆかちゃん、気をつけてね。また待ってるね。』
っていつも言ってくれてた。


お家から帰ってくると
『ただいまー!』ってまた
手を握りに行く。



おやすみする時も、必ず手を握ってた。


どんなときもニコニコしてるおばあちゃん。
握り返す力は最期まであったょ☆



そんなおばあちゃんと私。




最期の方は、おばあちゃんも寂しさからか
夜中に『ゆかちゃーん、ゆかちゃーん』って
呼ぶようになった。


壁をはさんだ向こう側で寝ている
おばあちゃんが呼んでる。



会いに行ってあげたいなーって思いながらも
でも学校もある私は、
うるさいなーーーって
心の奥底では感じてしまうのも事実だった。



それでももちろん出かける時は、
手を握ってから出かけてたけどね。





あるとき、学校から帰ると
かかりつけの先生とお母さんが
そろって階段から降りてきた。


当時、母には若干反抗期だった私。


顔合わせてすぐに母は私に言う。

『お願いがあるんだけど。。』





『自分でやればいいぢゃん』

って私は言いながら、階段をのぼって
いつものようにおばあちゃんに会いに行く。






でも.......



そう。

おばあちゃんは息をしてなかった。





そこで初めて、母のお願いの意味がわかった。
涙が止まらなかった。



出かける前、いつものよーに笑ってくれて
いつもお同じよーに手を握ってくれたじゃん!
昨夜もいつものよーに
『ゆかちゃーん』って呼んでくれてたじゃん!



なんで?なんで??なんで???って。



なんか悲しいとかもあったけど

もーおばあちゃんの笑った顔を
見ることができないこと

これ以上手を握りながら
行ってきますって言えないんだってこと

おばあちゃんにヨーグルトを
食べさせてあげれないこと


今まで当たり前にやってたことが
死んじゃうと何もしてあげられないってことが
寂しくてしょーがなかった。


なんとなく弱ってくのわかってたけど、
実際に死んじゃったおばあちゃんを見て
寂しくてしょうがなかった。



おばあちゃんといて
楽しかったこと、嫌だったこと
色々なことが頭に浮かんできて、
涙が流れてくるたびに
おばあちゃんに

『ありがとう!』

っていつものように手を握りながら声をかける。


笑いもしない、
もうあたたかくないおばあちゃんの手。




さっき母にかけた言葉が
ハッと頭に浮かんだ。



『お願いがあるんだけど。。』


お母さんの元に戻る。





『何してくれば良いの??お願いって何??』



母は市役所に行って死亡届を
もらってきて欲しいって言った。



泣きながら取りに行く。


でも外で泣いてるのは自分だけ。


周りの人は、至って普通の日常を送ってる。


私がなんで泣いてるのかなんて
わかんない。知らない。


人の死って、家族や知り合いには
こんなにも悲しいできごとだけど、
他人にはなんてことないんだなー
知ったこっちゃないもんなーなんて
その時に世間の冷たさをなんとなく
感じてしまったんだ、私。




役所で聞く『ご愁傷様です』
にすら冷たさを感じた。




でもね、今は思う。
私自身が一番、
他人に対して冷たかったのかなって。
てか他人に対して興味をもつのが
怖かったんだなーって。
迷惑なんじゃないかって。
色々なことを世間に対して感じてて、
だから周りもそーであるんだって
私の世界観を周りに移してた。


人それぞれの価値観があるって
わかりながらも、でも人の価値観なんて
自分と違いすぎて理解できないから
結局自分のフィルターを通して
周りを観察する。



『ご愁傷様です』
市役所て心を込めて言ってもらえたら、
私の心は救われたのかな。


市役所で、職員の目の前で、
泣くことを赦されてたら
どれだけあたたかい気持ちになれたんだろう。


もしかしたら本当は温かい言葉を
かけてくれてたのかもしれない。

もしかしたら本当は目の前で泣くことも
赦されていたのかもしれない。


ただ私がそれを素直に受け取る
自分の器が無かっただけなのかもしれない。

素直に泣いてもいいって、周りの人に
甘える勇気がなかっただけかもしれない。




でもそんな当時はそう感じてしまった
事務的にかけられた言葉。


言わなきゃいけない言葉だから
とりあえずかけた言葉。


たぶん自分もたくさん今までやってきたと思う。
恥ずかしいしね。
そーゆーの、心を込めるのって。


でもさ、そーゆー言葉に
自分の心を込めて言える人って
すごいあたたかいなーって思うの、私。



そしてそーゆー人に本当に救われてきたと思うの、私。



おばあちゃんもその中の1人だったしね。



私も無理にやることなんてもちろんできないし
思ってないことを言うとかじゃなくてさ、
心から出たあたたかい言葉を
かけてあげられる人になりたいなーって
思うんだー。



形式的に言わなきゃいけない言葉も
もちろんあるけども
それでもただ言うだけじゃなくて、
経験から得た大切な感情をこめて
なんかあたたかく言ってしまう



そんなのいいなーって思う。

そんなのすごい素敵だと思うんだよね。




最期に

おばあちゃんの葬儀の時に足が痺れながらも
初めて真剣に聞いた【般若心経】に
なんとなく心を打たれた私。


なんでかこの部分を見て
死を納得したんだよね。



無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識



どこで切れるべきなのかもわからないけど
とりあえずこんなところ。


目も耳も鼻も舌も身体もない
味も香りも感じず触れることもできない
意識すらない



もちろん本当の意味は違うかもだけど

当時の私は死ぬってことを般若心経を見て

そう感じ取った。



今改めて般若心経について調べてみたら
面白いもの見つけたからシェア。
現代風ラップにして、般若心経を訳してるヤツ。


https://matome.naver.jp/m/odai/2136257773758613101



けっこうわかりやすいし面白い!


私自身、仏教とか全然興味なかったけど
ブッタの教えってすごいのかも!って
思っちゃった。


そんな私、看取り士の勉強中です。

看取り士とはこれです。

http://mitorishi.jp/


LINE@では
実際の身取りの現場で感じたことなどを
おもに書いてます☺


こんなおばあちゃんのエピソードがあるから
今施設での看取りにもついつい力が入ってしまう私。


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【自分らしく生きたいなら、まずは世間でいう常識と普通に疑問をもつこと】

【私の常識と普通リスト】


年上には敬語使う。

自分の名前で自分を呼んでたら、子供っぽい、恥ずかしい。

ワガママを言ってはいけない

人に迷惑かけてはいけない

親に心配かけてはいけない。

死に逝く人を目の前に微笑んでいたらいけない。


すらっと上がってくるものがこんな感じ。
もちろん他にも色々あるけどね、
今すぐには思いつかないから
とりあえずはこんな感じ。


こんな常識が今、自分らしく生きることに
制限を与える原因となっているんだよね。


でね、よーーーく考えるとこれって全部
人に言われてきたものだ!って気付くの。


そして、人に常識だから!って言われると
なんでか守らなきゃいけないものって
思ってしまうのも事実でね。


そして常識人じゃなきゃ
社会で適応できないって言われるし、
常識人じゃなきゃ、
社会で使えないってレッテル貼られるの。


私自身、友達にちょっと変わってるよね!
って言われることはあるけど
それって私けっこう嬉しくて、
それこそが私らしさだから、
その私らしさが伝わってるんだ!って
嬉しいの。


でもそんな私でも、
社会で使えないよねっていう
レッテル貼られたことはないんだ。
当たり前に
頑張ってたからさ、認められるために。
自分らしくないのに頑張ってたから。


もちろん今までは常識を
できるだけ守ってきたから
たくさんのメリットがあるのもわかる。
しかも普通でいれば
みんなと同じでいれるから、
みんなの仲間に入りやすい。


でも、誰かに言われたからって、
納得しないまま実行している
常識や普通って、
やっぱり自分らしくないのも事実なんだよ。



そんなふうな自分らしくない生き方に
あまり魅力を感じない私。



だからこそ自分と向き合う中で、
その常識と呼ばれるものを
全部試しにあえてやってみた。


やらずに納得せずにやり続けるくらいなら
やってみて、本当にダメなら
自分の常識として取り入れる。


そんなことをやってみた。


その感想がこれ。



年上には敬語使うこと

全タメ語は心地悪すぎるから、やらないけど
適度なタメ語は混ぜてしまっても
ぜーんぜん問題なかった。
むしろ自分には心地よかったし、
あたしも年下からタメ語で話しかけれても
全然OKなほうだから問題ない。

そして相手はどう思ってるかは知らないけど
今のところタメ語で話して文句は聞かない。

もちろん初対面の人とか、
あまりにも人を
ジャッジしてくる人に対しては
敬語を使うけど。
そういう人に対しては、
タメ語をしゃべることの心地よさが
自分にはなかったからっていう結論。



自分の名前で自分を呼んでたら、
子供っぽい、恥ずかしい。

これってさ、自分の名前に
誇りもってないよねって感じる。
あたしもTPOで使う時と使わない時あるけど、
これを言われたのって中学生のときだった。
それまではゆかって自分のこと呼んでた。
でも、ある時からあたしに変わった。
今はむしろゆかって名前好きだし、
ゆかって呼んでもいいかなーって思ったり。
だから旦那の前とかでは
たまにゆかって言ったりするときもある(笑)
まだ人の前でゆかって言うのは
心地よくない!(笑)




ワガママを言ってはいけない

これってさ、ワガママの意味を
はき違えてると思う。
ワガママってさ、我がままでしょ。
自分らしさだよ。
子供の頃の自我は良くて、
なぜ大人になったら自我はダメなの?
大人になったら我慢しなきゃいけないの?
それが違う。
ワガママを言うのは自由。
それを受け取る相手が、その自我を
受け取るか受け取らないかを決める。
それもまた相手の自由。
だから自我を伝えるのは
いっこうに構わないと思うのね。

自分の思いを伝えること

これが1番大切だと思うんだょ、私は。




人に迷惑かけてはいけない

人に迷惑はかけてもいいんだって。
迷惑ととるか迷惑ととらないかも
受け取る側の自由だから。
迷惑って、マイナスなイメージだけど
言い方変えると、頼る、甘えるになる。
もちろん、時に
やりすぎはいけないこともあるけどね。
頼ったり、甘えたりできるって
それだけ相手を信頼してるって証拠だから。
信頼してるからこそ、迷惑かけれるんだよ。
安心して迷惑かけれるってすごくない?




親に心配かけてはいけない。

親は何にでも心配するものだから。
心配かけない選択って、
むしろ何もしないことにしかならない。
心配してもらってありがたいと思いながら
色々挑戦すればいい。
いつでも親は自分の味方だから。
そー信じること。
そして心配かけたとしても
結局は幸せそうに楽しそうにしてれば
親は安心してくれるから。大丈夫。

お前が言うなよって?(笑)
でもあたしはそんな親になりたいんだよー!




死に逝く人を目の前に
微笑んでいたらいけない。

今までも、
死に逝く人をたくさんみてきた。
その中で、もう会えないことに対しては
悲しいと感じたことあるけど
安らかに逝けたことに対しては、
良かったねって
微笑んでしまうことが多かったんだょね。
でも過去に誰かに言われたことが
どーしても抜けきれなくて、
微笑むことは失礼なことって
どこかで思ってしまってて。
でも先日、看取り士さんとお話したときに
死は喜びだと聞いて、なんか腑に落ちた。




こんな風にゆっくり向き合っていくと、
今まで縛り付けられてきた常識が
常識じゃなくなってきたりもするんだょね。


当たり前が当たり前じゃなくなっていく。


すると
今まで相手に違和感を感じていた何かが
実は自分の捉え方の問題だったって
気付いたりもする。


それ普通だから!

って誰の普通?
誰の基準の普通?

そーやって一つづつ丁寧に向き合ってみる。



そして全て心地良いと感じる方を
選択してみる。


すると新しい今が見えてくる。



自分なりに気付くから意味がある。


それに尽きる。

ながながと読んでいただき
ありがとうございました♡


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