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●○●私の1番の理解者はいつも私自身●○●

【自分らしく生きたいなら、まずは世間でいう常識と普通に疑問をもつこと】

【私の常識と普通リスト】


年上には敬語使う。

自分の名前で自分を呼んでたら、子供っぽい、恥ずかしい。

ワガママを言ってはいけない

人に迷惑かけてはいけない

親に心配かけてはいけない。

死に逝く人を目の前に微笑んでいたらいけない。


すらっと上がってくるものがこんな感じ。
もちろん他にも色々あるけどね、
今すぐには思いつかないから
とりあえずはこんな感じ。


こんな常識が今、自分らしく生きることに
制限を与える原因となっているんだよね。


でね、よーーーく考えるとこれって全部
人に言われてきたものだ!って気付くの。


そして、人に常識だから!って言われると
なんでか守らなきゃいけないものって
思ってしまうのも事実でね。


そして常識人じゃなきゃ
社会で適応できないって言われるし、
常識人じゃなきゃ、
社会で使えないってレッテル貼られるの。


私自身、友達にちょっと変わってるよね!
って言われることはあるけど
それって私けっこう嬉しくて、
それこそが私らしさだから、
その私らしさが伝わってるんだ!って
嬉しいの。


でもそんな私でも、
社会で使えないよねっていう
レッテル貼られたことはないんだ。
当たり前に
頑張ってたからさ、認められるために。
自分らしくないのに頑張ってたから。


もちろん今までは常識を
できるだけ守ってきたから
たくさんのメリットがあるのもわかる。
しかも普通でいれば
みんなと同じでいれるから、
みんなの仲間に入りやすい。


でも、誰かに言われたからって、
納得しないまま実行している
常識や普通って、
やっぱり自分らしくないのも事実なんだよ。



そんなふうな自分らしくない生き方に
あまり魅力を感じない私。



だからこそ自分と向き合う中で、
その常識と呼ばれるものを
全部試しにあえてやってみた。


やらずに納得せずにやり続けるくらいなら
やってみて、本当にダメなら
自分の常識として取り入れる。


そんなことをやってみた。


その感想がこれ。



年上には敬語使うこと

全タメ語は心地悪すぎるから、やらないけど
適度なタメ語は混ぜてしまっても
ぜーんぜん問題なかった。
むしろ自分には心地よかったし、
あたしも年下からタメ語で話しかけれても
全然OKなほうだから問題ない。

そして相手はどう思ってるかは知らないけど
今のところタメ語で話して文句は聞かない。

もちろん初対面の人とか、
あまりにも人を
ジャッジしてくる人に対しては
敬語を使うけど。
そういう人に対しては、
タメ語をしゃべることの心地よさが
自分にはなかったからっていう結論。



自分の名前で自分を呼んでたら、
子供っぽい、恥ずかしい。

これってさ、自分の名前に
誇りもってないよねって感じる。
あたしもTPOで使う時と使わない時あるけど、
これを言われたのって中学生のときだった。
それまではゆかって自分のこと呼んでた。
でも、ある時からあたしに変わった。
今はむしろゆかって名前好きだし、
ゆかって呼んでもいいかなーって思ったり。
だから旦那の前とかでは
たまにゆかって言ったりするときもある(笑)
まだ人の前でゆかって言うのは
心地よくない!(笑)




ワガママを言ってはいけない

これってさ、ワガママの意味を
はき違えてると思う。
ワガママってさ、我がままでしょ。
自分らしさだよ。
子供の頃の自我は良くて、
なぜ大人になったら自我はダメなの?
大人になったら我慢しなきゃいけないの?
それが違う。
ワガママを言うのは自由。
それを受け取る相手が、その自我を
受け取るか受け取らないかを決める。
それもまた相手の自由。
だから自我を伝えるのは
いっこうに構わないと思うのね。

自分の思いを伝えること

これが1番大切だと思うんだょ、私は。




人に迷惑かけてはいけない

人に迷惑はかけてもいいんだって。
迷惑ととるか迷惑ととらないかも
受け取る側の自由だから。
迷惑って、マイナスなイメージだけど
言い方変えると、頼る、甘えるになる。
もちろん、時に
やりすぎはいけないこともあるけどね。
頼ったり、甘えたりできるって
それだけ相手を信頼してるって証拠だから。
信頼してるからこそ、迷惑かけれるんだよ。
安心して迷惑かけれるってすごくない?




親に心配かけてはいけない。

親は何にでも心配するものだから。
心配かけない選択って、
むしろ何もしないことにしかならない。
心配してもらってありがたいと思いながら
色々挑戦すればいい。
いつでも親は自分の味方だから。
そー信じること。
そして心配かけたとしても
結局は幸せそうに楽しそうにしてれば
親は安心してくれるから。大丈夫。

お前が言うなよって?(笑)
でもあたしはそんな親になりたいんだよー!




死に逝く人を目の前に
微笑んでいたらいけない。

今までも、
死に逝く人をたくさんみてきた。
その中で、もう会えないことに対しては
悲しいと感じたことあるけど
安らかに逝けたことに対しては、
良かったねって
微笑んでしまうことが多かったんだょね。
でも過去に誰かに言われたことが
どーしても抜けきれなくて、
微笑むことは失礼なことって
どこかで思ってしまってて。
でも先日、看取り士さんとお話したときに
死は喜びだと聞いて、なんか腑に落ちた。




こんな風にゆっくり向き合っていくと、
今まで縛り付けられてきた常識が
常識じゃなくなってきたりもするんだょね。


当たり前が当たり前じゃなくなっていく。


すると
今まで相手に違和感を感じていた何かが
実は自分の捉え方の問題だったって
気付いたりもする。


それ普通だから!

って誰の普通?
誰の基準の普通?

そーやって一つづつ丁寧に向き合ってみる。



そして全て心地良いと感じる方を
選択してみる。


すると新しい今が見えてくる。



自分なりに気付くから意味がある。


それに尽きる。

ながながと読んでいただき
ありがとうございました♡


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